ポップな自動売買
つぎに多いのがフードで一五カ所、同社ヨーロッパ発祥の地イギリスがもっとも多く六カ所、三位はGMで一四カ所、東欧圏には旧東独(アイゼナッハ)を含め四カ所で稼働中である。
これが、ヨーロッパに工場をもつトップスリーの企業である。
トップスリーのうち、二社がアメリカ資本である0その勢力分野は、どうなっているのか。
ヨーロッパ一七カ国の九八年生産トップシックスをみてみよう。
いま、ヨーロッパの自動車業界をみていると、あたかも九〇年代前半のアメリカが連想される。
それはまさに史上最悪のときに、史上最強の経営者が台頭してきたのである。
まず、GフードのA・トロットマン会つわものこれらトップシックス(事業部も含む)は、偶然にもいずれも一〇〇万台を超えている。
あたかも一〇〇万台を超えない企業の命運を占っているかのようである。
長(九三年)、ついで旧C社のR・イートン会長(九三年)であった。
これだけの強力経営者がそろいぶみしたのは、おそらく史上初のことだろう。
あれから七、八年たつ。
彼らの時代に、何回、純益(決算)の「史上最高記録」が塗りかえられたことか。
時代の流れが、それに幸いしたことも事実である。
ただ、それだけではない。
この五年間の新製品開発努力が、史上最大のSUVブームを生み、この一二年にみるコスト削減の経営努力が、「史上最高の純益」を生んだのである。
いま、ヨーロッパの自動車業界は、まさにその時期にきているような気がする。
だから、業界が活気に満ちているし、発信する情報も多いのである。
VWは、九三年に史上最高の赤字二四億九〇〇〇万マルク)を計上して、F・ピエヒ社長に交代した。
それから四年たった九七年決算では、前年比一〇〇・七%上回る純益二三億六〇〇〇万マルク)をあげ、九八年にもそれを上回ること六四・七%増の純益(二二億四万マルク)をあげえた。
名門高級車メーカーのロールス・ロイス()を買収したものの、二〇〇三年からはベンレのみのブランドとなる。
それでもまだピエヒ社長はRRをあきらめていない。
旧ダイムラーは、九七年、持ち株会社をまったくあらためて、経営陣も大きく変えた。
その後、C社と牡紀の大合併をとげたことはすでに述べた通りである(二章)0BMWは、九四年にローバー・グループの株を一〇〇%買収してからというもの、経営の幅がかなり広がってきた。
ただ、経営上のラブルがあったため、首脳陣がかわり、ローバー・グループはしばらく苦行がつづこう。
問題は、これが本家にもおよぶか否かである。
九八年、VWにロールス・ロイスはさらわれたが、どたんばでロールス・ロイスのブランドを確保したのは経営者の手腕だった。
プジョーシロエンは、純益激減の危機感から、九七年一〇月、五〇歳のー・マーチン・フルツ会長を選任した。
B社は、ルノーとの合併破談の傷あとも癒えた九五年、あらたに生え抜きのT・ヨハネソンをB社・カーズ(B社乗用車部門)社長に選んだ。
かねて再編劇には巻き込まれないとしていたが、ついに九九年1月、一〇〇%フードの傘下にはいることになった.それを決意したL・ヨハンソンは、就任当時まだ五〇歳にもなっていなかった。
これら経営者に共通することは、就任直後から矢継ぎ早に新しい経営指針を打ち出したことだ。
それはあたかも、ポール・ポジションについたレーシング・マシーンがゴー・サインに変わった瞬間、全速発進したのに似ている。
その典型的なケースを例に、ヨーロッパ自動車企業がいまなにを考えているのか、その側面を描いてみよう。
九九年、世界をアッといわせた再編劇は、フードーB社のコンビで碁を開けた。
この再編がフード側にもたらすメリットは、すでに述べた通りである(四章)。
ならば、B社側にとってはどんな戦略的意味があったのか。
そこには、L・ヨハンソン社長の決断と遠謀深慮があった。
ゲテボルグの生まれで、学生のころからB社組立てラインで働いていたという大のB社・ファンだった。
もちろん、クルマ好きという点でも人後に落ちず、いまでも時間があれば、自宅のガレージに眠る古びたジャガーの前にすわり込んで、時を過ごすという。
そのヨハンソン氏の最大の課題は、経営再建であった。
氏は、これからの自動車戦争を勝ち抜くためにはまず絶対的な量が重要だと考えた。
そのためには、前提としてのコスト削減に取り組まねばならない。
というわけで、つぎの目標を策定した。
それが、二〇〇〇年までに新車開発費に五〇億ドルかけること、同じく二〇〇〇年までに世界販売台数を五〇万台に引き上げることであった。
ちなみに、五〇億ドルといえば、当時(九六年)の決算で、純益の約三倍であった。
その資金を新車の開発にあてるという戦略を打ち出した。
世界販売台数五〇万台という目標は、けっして容易なものではなかった。
たとえば、九七年の乗用車生産は、国外組立て分を含めても、二七万台であった。
目標の半分であった。
まして、今後の世界的販売競争の激化を思えば、まさに前途は多難だった。
たしかに、B社の車は、以前から安全のイメージが高かった。
ところが、他界中の各社が「安全」をうたい出したいま、それはB社の個性にはならなくなった。
そこで、新社長はボルボ車のイメージ・チェンジに取りかかった。
「安全」から「スピード」に変えたのだ。
これは、賢明なイメージ・チェンジだった。
いま、燃費、クリーン度、軽量化に関心がもたれているだけに、「スピード」がB社の個性となると、また、新しい息吹を吹き込んでくれるという期待もあった。
ただ問題は、コスト削減をどうすすめるか、であった。
ヨハンソン社長は、まず、マネジャー・クラスの削減計画をすすめた。
二〇〇〇年までに三分の一減らすという大英断を下した。
同時に、部品購入先の一部を東欧諸国にふり変える。
コストを下げるためである。
具体的には、東欧から二〇%を調達することにより、部品コストは一五%削減できると試算している。
さらに、プラットフームの削減をまな板に載せた。
このコスト・ダウンをはかりながら、二〇〇〇年の売上目標を二五〇〇億スウェーデン・クローネに引き上げる。
九七年は一六五〇億SKだったからへ三年間で五割増をはかろうとした。
そのかたわら、「B社は独立独歩をつらぬ」と内外に宣言していた。
それは、本心からそう思っていたのだろうと思う。
このころ世界の商用車(トラック、バス)業界の競争もまた、乗用車以上に激烈であった。
ただ、乗用車はこのところ横バイを余儀なくされていたのにたいして、B社の商用車は世界的に順調な伸びをみせていたことである。
彼の計算は、急速に商用車に傾いていった。
九八年の夏を過ぎたころ、ヨハンソン社長は、ひそかにB社乗用車部門の売却方を投資グループのインベスターに依頼した。
買い手は、お金に余裕のある会社とした。
このなかから、フードの名は早くからあがっていた。
こうしてヨハンソン社長は、名門B社乗用車と引きかえにフードから五〇〇億SK(約七八〇〇億円)を得た。
ほてんこの資金は、どのように使われていくか。
経営が赤字ではないので、それを補填する必要はなかった。
ヨハンソン社長は、それを性界の商用車企業を買収する資金に回したのである。
フードに売却が決定した直後、B社は同国二位の商用車メーカー、スカニアの株式一二・八五%を取得、いずれ完全買収も画策している。
これが成功すれば、年間一〇万台規模のスウェーデン連合が誕生することになり、ダイムラーC社につぐ勢力となる。
自動売買の企画制作を行う専門会社です。自動売買に磨きをかけることができます。
幅広い分野の自動売買の道へあなたを導きます。顧客満足度の高い自動売買を選びましょう!
自動売買を余すとこなく分析しました。日本の自動売買は世界に誇れます。
以前のシステムトレードの方法をご存知ですか?システムトレードセミナー開催中です。
システムトレードをお探しの方へ。もうシステムトレード以外は必要ないでしょう。
お手軽な価格が魅力のシステムトレードがどんなものかご存知ですか?納得のシステムトレードが手に入ります。
近未来的な日経225を導入しました。日経225の安定性は十分です。
便利な日経225の必要性を考えます。多くの人が日経225を評価しています。
お客様に相応しい日経225です。地域資源を活用した日経225です。